2017.09.09 Saturday
もう瞬間的に

読み始めて、これは、もう面白いと瞬間的に思ったのが
「びりっかすの神様」という本。図書館で借りて
長男に読み聞かせていたのだが、それがもう読みやすく
面白く、先が気になって、文字を追えば追うほど
読むのを止めることが出来なくて、一気に一日で読み終えた。
子どもはよく何時間も集中して聞くことができたなと思う。
しかしそれくらい面白い。
この面白さは小学生になったからこそ、という感じだろう。
何でも点数で評価する先生。
テストでいつもびりになる女の子。
頑張って頑張ってがむしゃらに働いて倒れて死んでしまった父親。
もう頑張らなくていいという母親。
頑張ること、勝つこと、負けること、わざと負けること
本気で取り組むこと、本気で負けること、
何が正解か、何が勝ちなのか、何が負けなのか、何が頑張れなのか
そういう答えがないことを主人公もクラスの子供も先生も大人たちも
考えることになる。
本文では誰が悪くて誰が間違えなんていうことは出てこない。
少し右へ傾けば、それはズルしたことになり、
少し左へ傾けば、頑張ったということになる。
しかし自分はいつでも線の上にたっていて右へ行っても左へ行っても
自分には変わりない。
それじゃあどうなんだ、ということを
子どもの目線、大人の目線、先生の目線、びりっかすの神様の目線で
描かれているように感じた。
自分で読むには中学年から。
確かに4年生くらいで感じる学校に関連する様々なことが出てくる。
だから子どもも共感する箇所が多くどんどん読み進めてしまうのかもしれない。
声に出して読んでいる私も、読みやすくて話が気になって読むのが止まらない。
笑っちゃうところもドキドキするところも
何だか胸が締め付けられるようなところもある。
うまいな、と思うのは、
最初から「がんばれ」という言葉と父親の死が関係している。
そこから始まる。ああそうか、このお話はドタバタ劇でも、冒険のお話でもなくて
精神面を軸にした話として進んで行くんだなと、直感的に感じる。
だから目に見える小さな神様が出てきたときも、
頭の中で会話するという内容になってもそんなバカな、なんて思わない。
読みながらもう入り込んでしまう。
先生だって悩むんだし親だって悩むんだし
子どもだって悩むんだしどんな人だって悩むんだ。
答えなんてないけれどそれでも人がいるから起こること
人がいるから感じること、人がいるから気付くことがある。
そんなことを親になった私は感じました。