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尖がり

若い時は
とにかく 尖がっていて
何でも溢れるくらいの爆発力がある。
次々と生まれてくるものがあって
その勢いが力になる。
不安があるから、
心配事があるから、
何かわからないざわざわした感情が
まとまらないから、体と心がバラバラになるような
感覚。動きだしたいが何をすればいいのか。
どうすればいいのか。


中学生のころを思い出してみると、
コドモでもないけれど、オトナでもない。
自分一人で出来ることはたくさんありそうだけど
実はとても少ない。
逃げることも誤魔化すこともできない。
しかし泣きつくこともできないような
そういう不安定な状態があるように思う。
答えなんて出ないのに、その答えを真っすぐに見つけようと
素直に、純粋に追い求めようとして
だからこそ苦しくなる時期。
まだ信じる力がある。
だからこそ苦しくなる。
逃げることも甘えることも泣き出すことも出来ない、
そういう宙ぶらりんな気持ちがする。
けれど抱えきれない思いが毎瞬沸き起こり
体内でぐつぐつと煮えてくる。
勉強もある、部活もある、学校もある、
口うるさい親もいる。
自分は一体何者なんだと、そう自問自答するような時期。

もっともっと中学生時代は休めばいいのではないか。
もちろん好きならば部活や稽古事を続けるのは大切だと思う。
しかし好きでないなら、
その時間をもっとぼやっとする時間にしたらどうか。
ぼやっとした時間が考える時間。
その時間が思う時間。
自分の心を整理する時間。
音楽を聴いたり本を読んだり空を眺めたり
家で寝転がっていたり
小さいころに意識していなかったようなことを思ったり
社会や親に対して反発する気持ちを持つ時間。
一人になる時間。何もしないで過ごす時間。

自分が何であるのか。
自分がどのようにして生まれ、ここにいるのか。
自分と他者を客観的に見つめ様々な思いが生まれてくる。
忙しいと何かを考えたり思いを巡らす時間が取れない。
大人のように何か力を抜いたり本気になったり
そういうことが器用に出来たらいいけれど
純粋に生きる子どもはいつでも真っすぐで
口では乱暴なことを言っていても
それでも大切な人に抱きしめてもらいたいと思っている。

もっともっと ぼやっとした時間を
もっともっと 大切な人と触れ合う時間を
取れたらいいのだろうと思う。
自分自身で、自分が好きなものを見つけ出せれば
それは大人になっても自分を救ってくれるような
強いものになると思う。


大人というものになった私には
一体何が出来て、何をしたらいいのか。
もう尖がりも勢いも噴き出す生命力もない。
でも今生きている意味がきっとあるはずだ。
自分自身に問い続けよう。
いつでも。
心に向かって問い続けよう。





| 森脇智美日記 | 23:30 |
玄関に

行ってきますと出かけたら
ただいまと帰ってくること。
行ってらっしゃいと手を振って
おかえりと濡れた手をタオルで拭きながら
玄関にかけつけるから。
どんなことがあっても
どんな時でも
母は母で。
どんな時でも
死ぬまで母だから。
迎え入れてくれる家と同じ。
全世界の人が敵になったとしても
母だけは味方でありたいと。
不器用で足も遅くて何の特技もないような私だが
もうそれは、いつでも真剣に向き合うしかない。
それはもう、私は私だけれど、
それはもう、母だからだ。
なんにも出来ないかもしれない。
それでも、それでも真剣な気持ちだけでも
それだけも持ち続けたい。



| 森脇智美日記 | 00:39 |
ローマ字

サンタさんはね
だれもあったことないんよ。
ねとるときに、こっそりきてね
玄関にプレゼント、置いて行ってくれる人なんよ
でも、会えんのんよ。
あってもね、外国の人じゃけえね、
ローマ字で話しとるんよ。
じゃけぇねー ローマ字じゃないと話せんのんよ。


(次男)
| 森脇智美日記 | 22:18 |
真夜中に

長男が小学校の図書館で本を借りてきてくれる。
「これ面白いから」と言って。
今度みんなで読もうねと私が言うと
「もう明日には帰さないといけないから
今日の夜のうちに読んどいて、それで
ランドセルに入れといて。」と。
そんなにすぐに返さないでもいいのだろうが
何か理由があるのだろう。
子どもを寝かしつけて、あれこれ夜中に作業をして
それで真夜中に急いで読んでいる。





| 森脇智美日記 | 23:38 |
足りない
ひまで
何にもすることがないと
子どもが言い出したら
段ボールや紙コップや輪ゴム、割りばし
があれば、なんでも面白いものが出来る。
ビー玉迷路や、割りばしロケット、鉄砲に
人形に、ゲームに。

8歳、5歳、2歳の子どもが
みんなでそれぞれの能力を使って楽しめる。
長男が工作が得意なので
次男に作り方を教えたり
妹に工作品で遊ばせてやったりする。

ひまだなと感じるくらい
何にもすることがない時間が
子どもにとっては必要な時間だなと感じる。
大人になった自分からみたら
とても贅沢な「何にもない時間」。
何にもすることがないくらい暇なときに
ようやく、子ども本来の頭が動き出す。
何しようかな、と。


製陶所へ行った時も
自転車に乗って、野球をやって、お茶会をして
一通りしてみたら、
何しようかな、ということになって
ひたすら自転車のタイヤを回してみたり
虫を捕まえたり、草を抜いたり、土を掘ったり
お父さんの仕事の手伝いをしたり
木を切ったり。

何にもすることがないと思った瞬間から
心が動き出す。
じわじわと。
いつの間にか、時間が足りなくなってしまう。



| 森脇智美日記 | 15:11 |
ママ
子どもが生まれて
自分の時間というものが無いとか
ゆっくりお出かけする時間が無いとか
音楽を聴いたり映画を見たり
そういうことが出来なくなってくる。
一人目、二人目、そうして三人目が生まれてから
だんだんとそんな出来ないということが
当たり前すぎて、もう
出来ないことに対する苛立ちや焦りなんてのも
無くなった。
もう、自分の時間がない、と思う時間さえ無い。
お出かけとか自分の趣味の時間なんていうことが
頭をよぎる時間さえ無くなり、
もっと現実的な、
トイレに行く時間が無いとか眠る時間が無いとか
食事をする時間が無いとかお化粧する時間が無いとか
お風呂にゆっくり入る時間が無いとか
そんなことになっていく。

けれど、それらが本当に永遠に続かないと知った時
とても貴重で、とても輝いているように見えてくる。
大声で叱っている時だって、怒っている時だって
眠たい時だって、ボサボサの髪で保育園へ連れていく時だって
化粧が取れた状態で保育園へ迎えに行く時だって
ああ、この瞬間はもう無い。
映画だって本だってこの先いつでもできるが
子どもの、いま、と過ごすことはこの先出来ない。
三人目の娘の成長を眺めていると
その気持ちがいつも強くなる。

気が狂いそうになるくらい腹が立っていても
こういうことがあるから、
もう笑顔になるしかないのです。
それが母ということ。
母にならせてもらう、ということかも。











・・・ハッピーバースデー、ママ!









| 森脇智美日記 | 23:11 |
知らせ

次男の体調が悪い。
来るぞ、来るぞと
体がお知らせしてくれる。
台風が来るんだと。
体の中がそわそわして落ち着かないのだろう。
だから、きまってお知らせしてくれる。

子どもの喉から漏れてくる音に
私は耳を近づけて、体の音を聞く。
窓を閉め、窓を開け、
布団をかけて、布団をとって、
腕を温め、背中の熱を逃がし、
蜂蜜を飲ませ、
小さく丸まった背中をさすりながら
夜を過ごす。

来るぞ、来るぞと、
数日前からお知らせが来る。
知らせてくれてありがとうと思うが、
お知らせなんていらないんだ、とも思う。
思いながら子の胸に耳を近づける。




| 森脇智美日記 | 14:51 |
時に
時には団子のようになって
時には各々で立ち上がり
時には折り重なって寝転がり
時には自分と向き合う。
真っすぐに見つめて
触れあって温度を確かめあう。
支えているつもりが支えられ
気持ちを寄せるつもりが、
相手からの純粋な感情に包まれて。

美しく生きることなんて
かっこよく生きることなんて
お洒落に生きることなんて

親子でそばにいたら
夫婦でそばにいたら
家族で一緒に居たら
それはもう、がむしゃらに向かうしかない。
何が起こるか分からない。
何を感じるか分からない。
分からないからそばにいる。

時には丸まって、時には個々で
時には積み重なって、時には蛇行して
時には手を握り合い。
何が起こるか分からない。
分からないからそばにいる。
大人になったと思い込んでいた自分たちを
生きることを、進むことを、
本気にさせるのが子どもなのかもしれない。




| 森脇智美日記 | 23:51 |
必死で

親にとって悲しいことは何だろうかと
思えば、だれだってそれは
自分より先に子どもの命が無くなってしまう
ことではないだろうか。
だから親になった私達は他の事で悲しんではいけない。
子どもがテストで百点を取れない時に
かけっこで一番になれない時に
賞を取れなかった時に
学校に行けなかった時に
上手に絵が描けなかった時に
勉強が出来なかった時に
悲しんだ顔を見せてはいけない。
いつだって、どんなときだって親が一番悲しいのは、
自分より先に子の命が無くなってしまうこと。
だから他の事柄で悲しい顔なんて見せてはいけない。
危ないと怒るのは命に関連することだからだ。
走るなと叫んでしまうのは死んでほしくないからだ。
時に力づくで、本気で、必死で叫んでいるのは
生きて欲しいからだ。
だから親になった私達は他の事柄で悲しい顔なんて
見せちゃあだめなんだ。
いつだって、どんなときだって
親として一番悲しいことは何だろうかと思えばいい。
子どもに何を伝えたらいいのか自ずと出てくる。
その一つのことのために親は必死で生きている。
必死でそばにいる。必死で叫んでいる。
必死で抱きしめている。



| 森脇智美日記 | 22:16 |
三世代
広島、八月六日の早朝。
歩いて平和公園へ行きお祈りをする。
昔私が子どもだった頃、
父と母と祖母と、眠たい目をこすりながら向かっていた場所へ
今年は、
「おじいちゃん」になった父と、「おばあちゃん」になった母と、
「ママ」になった私と、主人と子どもたちで。
小さなころから毎年してきたこと。
いま私の小さな手をひいて歩いていた父は
私の娘の小さな手をひいて歩いていた。

夏休みの間の様々な思い出は、あまり記憶していないのに
こうして薄暗い涼しい早朝に起こされて
この場所に家族で訪れた記憶はしっかりと残っている。








| 森脇智美日記 | 14:57 |
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