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アレルギー /4.アレルギー症状
4、特にひどかったアレルギーの症状


今まで色々と怖いな、危なかったなと思う症状がありましたが
特にひどかったことも記しておこうと思います。


3歳11か月
長男卒園の時に、園児と保護者で集まり謝恩会を開きました。
もちろん自宅から次男用に弁当を持参しておりました。
その時、公民館内キッチンでピザを焼き、室内にチーズやパンの焼ける
普通であれば香ばしいと感じる香りが漂っていました。
このころ私達は口に入らなければ大丈夫と思っていましたので
次男がせき込み始めた時、朝から式もあり疲れが出てきたのかな、
さっきみんなで畳の部屋を走っていたのでそれで息が乱れたのかなと
思い、喘息の吸入をしました。
しかし息が苦しそうで、飲み薬も飲みました。
少し治まったかなと思っていたら腹痛を訴え始めました。
何も食べていない、まだ他の子も食事が始まっていなかったので
どうしたんだろう、と少し違和感を覚えていたら蕁麻疹が体中に
広がってきました。
これはもう今までにない感じだったので危ないなと思いすぐに帰宅しました。
しばらく蕁麻疹は消えず、顔から腕からふくらはぎまで
全身に蕁麻疹が出ていました。しばらく消えず、怖かったです。
今思えば、アナフィラキシーショックが起きる寸前だったのかもしれません。
状況によっては、命にかかわることだったかもしれません。
推察ですがチーズを焼いたことによる乳製品の揮発物が
呼吸で体内に入り込んだせいではないかと私達は考えました。


6歳の頃
私達も家には乳製品を置かない使わない生活に慣れ
日々の食事や気を付ける部分が何となくわかってきて
ひどい蕁麻疹が出る、ということはほとんど無くなっていました。

6歳の頃、飲食店でフライドポテトを食べたのですが
(このポテトは過去何度も口にしたことがあり、
 大丈夫だという認識でした。
 きっとポテトはポテト用の油で揚げているんだと勝手に思っていました)

しかし食後いきなりせき込み始め、腹痛を訴えました。
まだ蕁麻疹は出ていませんが咳がひどかったので、
すぐに飲み薬と、店内で電源を借り、吸入をしました。
吸入の途中でトイレに行き、下痢をしていました。
蕁麻疹はまだ出ていません。
すぐに飲んだ飲み薬が効いていたのだと思います。
その後は状態が安定してきました。
この時も今思えばアナフィラキシーショック寸前でした。

気付いて、薬を飲む、吸入する、が私達は素早く判断して
数秒で出来るようになっていたので何とか大事にならずに済んだのだと思います。
あくまで推測ですが、
揚げ油が専用ではなく他の揚げ物と共有するようになったのかもしれません。
店内のにおいも以前とは違っていましたし、
そういえば店長さんも変わっていましたし・・・
やはり外食は怖いなと反省しました。


6歳11か月、卒園式の三日前

朝から熱が出ていたので保育園をお休みし、過ごしていました。
昼食後、しんどいーと言ってぐったりしていて、
早くお昼寝しようねと言って私は洗い物をしていました。
次男も本を読んでいました。
そのころ小学校に迎えに行っていた主人と長男が帰宅し
昼食を食べ始めました。
するとすぐにひどい咳をし始めて、
喘息にしたら発作が急だなと思いつつ吸入する?と聞いていたら、
次男が泣き出し、狂ったように「いやだーいやだー」と叫び出しました。
以前は苦しい時は、くるしいーと言葉を発していたのですが、
いやだーと叫んでいます。これはいつもと違うので
急いで吸入をしようとするのですがうまく息が出来ず、
吸入が出来ませんでした。吸入が出来ないとなると
気管が閉じて更に呼吸が出来なくなります。

一気に悪化したということは喘息ではなく
食べ物だと思い、飲み薬を注射器で口の隙間から入れました。
顔は紅潮し目は充血しています。
症状が出始めてからここまでは3分くらいです。
また吸入をしようと思っていたのですが、全く出来る状態ではなく
次男も完全にパニック状態です。
きっと首が締まっていく感じがあり怖さも相当だったと思います。
主人がエピペン打とう、と言い、すぐ私が手渡しました。
次男を抱き、ズボンを下ろし、「00ちゃん、打つよ」と声をかけ
主人が打ちました。

すると15秒位でしょうか次男が「息が出来る・・・」と呟きました。
意識はありましたが、顔色が一気に白いというか、何というか
蝋人形のような生きているのに死んでいるような顔色になりました。
次は救急車だと主人が電話しました。
その間私は入院用にカバンに着替えやタオルを準備していました。
動かなきゃという覚悟もありましたが、興奮状態でもあったと思います。
すぐに救急車が到着しました。次男は意識もあり呼吸もありますが
相変わらず青白い、ペンキで塗ったような白い顔をしています。
救急車には主人が付き添いました。
私は娘を抱きかかえ、動き出す救急車を見ました。
急に心臓がどくどく言いはじめ、怖さが足元から上ってくるようでした。

けれど泣いてなんていられません。娘と長男とともに
病院へ行く準備をしていました。
私が車で向かおうとしたのですがもともと運転が苦手なため、
事故になってもいけないからと主人に止められてしまいました。
病院についたときには徐々に顔色も戻っていたようですが
また症状が出るかもしれないと入院することになりました。
私は近所に住む義母に連絡をして、病院まで連れて行ってもらうことにしました。
私の親は県外にいますので、こうして近くに助けてくれる人が
いることに感謝しました。
病院へ到着し、ベッドの上で小さく丸まる次男を見た時、
本当に本当にほっとしました。
良かった、良かったと思いました。

エピペンを打つのが早かったこと、
飲み薬もすぐ飲んだことが良かったと
病院の先生が話してくださいました。
どうしたんだろう。大丈夫かな。と思う間に体調は急変します。
徐々にというより、一気に、という感じでした。


私達は今まで、喘息でも食物アレルギーでも、何かがあれば
すぐに死んでしまうものなんだという意識をもっていました。
夫婦でいつも話し合い、エピペンの事、薬の事、体調の事を
考え、意見を出し合っていました。だから、二人ですぐに動けたのかも
しれません。もし主人が帰宅していなかったら、もし私一人だったら
処置できなかったかもしれません。
そして今回の事で私達はさらに覚悟をしました。
とにかく治すということではない。今を生きなきゃいけないんだと
今ある命を大切に、次へ繋げていこうと。

小学校入学にあたってエピペンを処方されていましたので、
それが無ければ助からなかったかもしれません。
本当に思い出せば出すほど息が苦しく、怖くて不安です。
しかし学校生活が始まる前に、私達はさらに本気で向き合うしかないと
より強く思いました。


この時は、原因は何だったのか不明でした。
このころ、長男の為に卵を使った料理をすることがあったので
もしかしてその洗い残しだろうか、と思っていました。
しかし後々調べ考えているうちに、きっとカレーに入っていたクミンという
スパイスが原因ではないかと私達は素人ながらですが思っています。
確定はしていません。

色々調べると
花粉飛散時期に特定の食品を口にすることで、
アレルギー反応を示すというPFASという症状があるということです。
牛乳や卵といったような直接的なアレルギー物質が原因というのではなく
次男はブナ目の花粉にもアレルギー反応を持っていますので
ブナ目の花粉飛散がある時に、セリ科の野菜の種子のクミンを
口にする事で症状が現れるという、信じられませんが交差反応というようです。
体調が良くない時に最悪の組み合わせが起きてしまったようです。
確信したのは、後日、同じように手作りしたカレーを口にした後
次男が咳をはじめ、嫌だということを言ったので、
もしかして前回の時もそうだしクミンが原因では?と思い付きました。
主人がいろいろと調べてみると、花粉との組み合わせがあると知り
きっとそうだ、と私達は考えました。

以前もクミンを入れたカレーは何度も食べてはいたのですが、
この時はたまたま花粉と合わさって
また風邪の発熱もあり、ひどい症状がでていました。
花粉の時期と食べ物と咳。
そう考えると納得がいくことが多くあります。


ある時は
リンゴジュースを飲んだ時、直後に咳をし始めました。
これは冷たいものを一気に飲んでしまったせいかなと思っていました。
けれど花粉の時期と果物の表を見ていると、
交差反応というものが起きているんだと、今ではわかります。
花粉の時期、次男は鼻水や目のかゆみはそんなにひどくないのですが
喘息の発作がひどくありました。呼吸器系に反応していたのではないでしょうか。

食物アレルギーも喘息も原因は一つではないように思います。
その時の体調、環境、口にしたもの、
もしくは体質、遺伝的なもの、
様々あると思います。答えはありません。治療法もないように思います。
だからこそ、ゴールは、治すことではない。
今を生きることです。今の命を大切にすることです。
今出来ることを、今食べられるものを大切にしようと
夫婦でそう思っています。
| 森脇智美日記 | 09:58 |