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アレルギー /3、向き合うこと

3、次男と病気と家族で向き合うこと

我が家にとってアレルギーや喘息の病気は
悲観する材料にはなりません。
もちろん最初は、看病の連続で引きこもりの毎日、寝不足が続き
気が狂いそうなこともありましたし、今でも不安と心配で包まれています。
次男を見ると、いつかふっと消えてなくなるのではないか
と夜中呼吸を確かめることがあります。
何かをしていて、アッと思う、次の瞬間に、
死ぬかもしれないという恐怖が頭をよぎります。
何かが起こるかもしれないといつでも覚悟をしています。
恐ろしく、苦しく、泣きたいことだらけです。
しかし、私達は、次男は、生きなくてはいけません。
私達は彼が小さなころから、
「いつか食べられるようになるよ」とか
「頑張って治そう」というようなことは言いませんでした。
「かわいそう」とも思いませんでした。
口にできない食べ物を、誤魔化したり秘密にすることもしませんでした。

とにかく自分で食べられないものを覚えて、食べたら死ぬんだと
苦しくなったら死ぬんだということを言い続けました。
小さな子に対して、
「死ぬ」なんていう言葉は言うべきではないのかもしれません。
けれどそれが現実です。本気で向き合うしかない。
親である私達も、次男自身も、また兄弟も。

それは負けたとか、駄目だということでない。
今、食べられるものがあるのなら、それを大切にしよう。
今、息が出来ているのならそれを大切にしよう。
今日ある命に感謝して生きよう、と伝えました。

だから、次男は保育園でもみんなと違うものを食べていても
食べられないものがあっても
「どうせぼくはなんて」なんて言いませんでしたし
すねて「自分だけ違う」なんてこともいいません。
秘密にすれば苦しくなります。
治るから頑張ろうと言うと、こどもは頑張ろうとします、
そして症状が出たら、やっぱり駄目だったと落ち込みます。
頑張る必要はありませんし、悲観することもありません。
アレルギーや喘息の症状が出ること。
それ以外は本を読んだり字を書いたり絵を描いたり話したり
走ったり考えたり様々なことができます。
他の人と違うということは、マイナスになりませんし
それで人生が真っ暗になるなんてこともありえません。
考えようです。

次男にはいつも食品表示を確認しなければ食べられないと伝え
ちくわには卵が入っている物が多いから気を付けて、とか
このお菓子は牛乳入っているから、違うのにしようか、とか
これはアレルギー用のケーキだからいいけれど、
他のは食べられないからね、とはっきり、まっすぐ伝えています。
親がかわいそう、と悲しむと、子どもはもっと悲しみます。

園の給食でも食べられないものがあっても
毎日メニューを確認するようにして、
みんなはシチューだから気を付けようね、などと話し合うようになりました。
人と違う、自分のことだけを気をつけるというよりも
みんなはこうだけど、自分はこう、というように
「みんな」はどうしているか、ということを知ることが
結局のところ、危険の回避や予防に繋がります。

次男は食事に対してはとても前向きで
今日のご飯なんだろうとか園での美味しかったものを教えてくれたり
家でも一緒に料理をしたりしていました。
出掛けても外食はほとんど無理ですので
いつもお弁当を作ってみんなで公園で食べたり、
車内のシートを倒してキャンプ気分で食べたり、
主人の仕事場でバーベキューや鍋をしたりしていました。
工夫すれば楽しいことはたくさん転がっています。
「みんな」ということに合わせると難しい事だらけです。
だから、自分たちで一番安全で安心で
楽しいことを作っていこうという気持ちで今も過ごしています。

振り返ってみても本当につらいこと、怖かったこと心配なことだらけです。
でも私は一人ではありません。
いつも主人が一緒になって考えてくれたり
食事もこうしたらよいかもと作ってくれたり、すぐに行動してくれていました。
相談しながらアレルギーの事、喘息の事と向き合ってきました。
長男は花粉症がありますが食物アレルギーはありません。
しかし長男は普段はアイスもパンも食べません。
食べたいこともあると思います。
娘もアレルギーは一切ありませんが
ヨーグルトやプリンを食べることはなく、
食べたことのない食品も多くあります。
我慢させる、というのではなく、
家族が一人でも悲しい思いをしていたら助け合おうと
それが家族だと、いつも言っています。

次男に対してだけではありません。
長男が体調不良の時は元気な人が力を出し合う。
娘も同様です。体だけでなく気持ちがつらいときも同じです。
家族であるなら、みんなで向き合って
団子状態でがむしゃらに、もみくちゃになって進むしかないのです。
家族みんなでの取り組みだからこそ進めることがあります。

アレルギーについて私が文章に残そうと思ったのも
そのような理由があるのです。
きっとアレルギーの子どもを抱えるご両親、ご家族には
出口のない暗いトンネルを進み、不安と心配と辛さで
苦しまれている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
アレルギーにゴールはありません。また答えもありません。
個人によって大きくなって食べられる子や、軽い症状の子、
我が子のように重い症状の子、色々あると思います。
私はアレルギーは体質として次男はずっともっていて
もしかして一生口にできない食べ物もあるかもしれないと思っています。
しかし大切なのは、十年後よりも、今、命があることです。

次男は呼吸が止まりそうになり病院へ駈け込んだり
食べ物で蕁麻疹が体中に出たり、呼吸が安定しない日がありましたし、
最近では6歳末頃、呼吸困難になり、エピペンを打ち
救急車で運ばれ入院することもありました。
死んでもおかしくない状態でギリギリのところで命を繋ぎました。
今日から明日へ、命を繋ぐ。
その一歩一歩を大切にしたいと思っています。

| アレルギー | 21:18 |
アレルギー /2、保育園へ(4歳ごろ)
2, 次男4歳の頃、保育園に入園

初めての集団生活が始まりました。
保育園の玄関で手を振り後姿を見送ってから
次にまた姿を見るまで、いつもソワソワした時間を過ごしました。
(今もそれは変わりませんが)
園での食事は除去食でしたが、他の子どもさんは牛乳も卵も食べている、
そんな中で次男はうまく生活できるのか、とにかく心配でした。
最初の頃は迎えに行くと蕁麻疹が出ていたり
喘息のような呼吸になっていることもありましたが
命にかかわるようなひどい症状はありませんでした。
それは、保育園の先生方のきめ細かい対応や
食事の先生が除去食でも楽しくなるように工夫してくださったこと等、
関係する皆さんに支えられ、助けられての結果です。
卒園するまでの3年間、本当に感謝しております。

園での生活では、
手洗いするときは他の子どもさんより息子が先に行ったり
食事の際は先生がついて見て下さったり、
咳をしていたら声をかけてくださったりと
流れの中でうまく過ごせるようお気遣いをいただきました。

また体調不良や息が苦しい時はすぐに連絡をいただき
その都度迎えに行くことが多くありました。
園と家が近いということもあり、
少しの症状でも電話してくださいとお願いしていました。
電話があれば必ず迎えに行くということで
次男が保育園にいるときは家の近くで過ごしていました。
喘息は呼吸器に症状が出るのはよく知られていますが
食物アレルギーも、次男の場合は呼吸器に症状が出るため
この咳が、この喘鳴が何なのかを見極めるのは難しく
また息が苦しくても吸入薬だけでおさまる場合もあれば、
飲み薬が必要なことがあったりと色々です。
蕁麻疹が出ている場合もあり
とにかく原因が何なのかが分からないことの方が多くて
色々な判断が難しく、対応をどのようにするのか
園との共有に多くの時間を使ったように思います。

私達は息子の表情や症状を見れば
何となくどうすればよいか、分かるようになりましたが
親でない場合、見極めるのはとても困難です。
そのため薬を預けるということはせず、
たとえ軽い症状でも電話をもらい、迎えに行く
というスタイルを取らせてもらいました。

どのような症状で、どのような対応をしてよいのか、
ということがはっきりわからない状態ですので
園の先生も毎回ご心配だったと思います。
体調が安定しない時はお昼までで帰宅することも多く、
長期のお休みもあり色々とご迷惑をおかけしました。
けれど保育園の先生はいつも笑顔で対応してくださいましたし
また応援もして下さいました。

おやつの時間はほとんどが食べられませんが、おにぎりを
かわいくラッピングして工夫されていたりしていました。
通った3年間、先生のお陰で、また一緒に通うお友達のお陰で
過ごすことが出来たこと、たくさんの経験が出来たこと
本当に感謝以外の言葉が見つかりません。
| アレルギー | 21:10 |
アレルギー /1 幼少期
1、幼少期

次男が0歳8か月頃に判明した喘息と食物アレルギー。
離乳食を始めたころに分かりました。
その前に赤ちゃんの頃もいつも頬が荒れていて赤く痒がっていて
その頃は湿疹かなと思う程度でしたが、後々振り返ってみたら
もう食物アレルギーの症状が出ていたのかなと思います。

赤ちゃんのころは毎食後に蕁麻疹が出ることが多く
牛乳、卵、小麦、大豆が食べられず
何を食事に出せばいいのやら不安と心配だらけでした。
口に入らなければ大丈夫と思っていたところ
父親が食べていたアイスクリームが顔にわずかですが付着し、
火傷の水膨れのように皮膚が腫れたりとか。
クッキーを作っている間に粉が舞い、
それを吸い込み呼吸が苦しくなることもありました。
何も食べていないのに蕁麻疹が出ることもありました。

一年中、ヒーヒーゼーゼーの喘息もあり
夜中何度も起き、吸入をし、抱きかかえ朝まで座ったまま寝ていた
ことも度々あり主人と二人で寝不足でした。
冬の間は息が苦しくなり、数か月間引きこもっていました。
毎年降る大雪の様子を窓の外から眺めているだけの次男は
「雪ってどんなのかな、触ってみたいな」と窓から外ばかりみて
いました。喘息の発作と蕁麻疹と、で体調が年中悪かったのです。
母親として何もしてやれないことで、胸が詰まることもありました。
次男は毎年冬は体調不良のため、
結局雪遊びをしたのは4歳末頃が初めてでした。

その後、少しずつですが、大豆が食べられるようになり
お醤油、味噌、豆腐を毎日食べても大丈夫になってから
ぐんと日々の食事内容が広がってきました。
我が家は以前はホームベーカリーでパンを焼いたり
下手ながらクッキーやケーキを作って食べていたのですが、
次男が安心して食べられるようにと次男だけの別料理は止めて
みんなで食べても触れても大丈夫なように
家族全員が口にできるものを作るようにしました。
卵も牛乳もお菓子も買いません。
家に居る時ぐらいは安心して過ごしてほしかったからです。
特別な食事をしようと張り切ると続きませんから
白米、みそ汁、煮物などの和食が中心にあり、
だしの取り方の工夫や香辛料や香草の使い方で
カレー、スープなど日々のレシピが少しずつ増えてきました。



次男の体と向き合う中で、
いつも排便が不規則で、いい状態の便が出ていないことに気付きました。
主人との話しでも、腸が弱く、消化する力が弱いのではということに至り
アレルギーを治すというより先ず腸を強くしようと考え
腸内環境を整える漢方薬を飲むことにしました。
次男にはそれが合っていたのか、みるみる毎日いい便がでるようになり
徐々にですが食べられるものも増えてきました。
そして元気な時は外で遊び、肺を鍛えることで喘息をうまくコントロールし
出来るだけ発作を起こさせないように、過ごしました。
毎日の吸入も朝晩続けました。
喘息発作になり薬を連続で使用することは大丈夫だろうかと不安になりましたが
その時にきちんと服用し、短期間で治すことで
発作が長引かないようにすることが大切だと知りました。
赤ちゃんの頃に比べて、
今7歳ですが喘息発作の数も減っていますし
私がつけている日記を見ながら体調不良になった時期は気を付けようとか、
疲れている時は無理をしないとか、予防策を立てられるようになりました。
しかしながら喘息はすぐに治るものではありませんから今でも注意が必要です。

| アレルギー | 22:38 |
アレルギー /はじめに
次男は、乳児期に先ず喘息と診断され
離乳食開始後の異変で、食物アレルギーを持つことがわかりました。
特に牛乳は少量でも体内に入れば、命にかかわります。
私は、今春次男が小学校に入学したこともあり
今まで様子や生活を記録として書き記しておきたいと思いました。
アレルギーを持つご家族にアドバイスをする、とか
アレルギーが治る方法を探るとか、そういうことではなく
ただ私達が今までしてきた体験や感想を書き記すことで
何かヒントになったり、数ある意見の内のひとつとして
何かを感じてくださればと思います。
アレルギーという一言であっても
実際その症状には個人差があり一人一人全く異なる対応が必要だと感じています。
全てがお医者様の判断に基づくものではなく、
生活を通して、我が息子にとって良いのではないかと思って
行っていたことや日々の気付き、
成長とともに感じたことを書き記しております。
| アレルギー | 22:35 |
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