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miyamaさん
毎年ですが
我が家の昆虫マンション、
今のところまだ一つの虫だけが
過ごしています。
ミヤマクワガタが第一号となりました。
最初はセミかと思うくらい大きく驚きました。

毎日のお世話は長男の仕事。
ミヤマサンと私は呼んでいる。

次男と娘は家でヒマワリを育てているので
毎日水やりをする。
そういえば、今小学校でもアサガオを育てていて
今日は色々な花の種をまいた。
成長していくものの世話をするのは
楽しいのだと思う。


私は小さな頃に畑で野菜を育てたり
虫を飼ったりした経験がないので
子どもがわくわくするのと同じように
アサガオを観察したり、畑を覗いたりして
勝手にわくわくしている。


自分が小学生の時に一年生をして、
長男が小学一年生の時に
一年生を懐かしんで
次男が一年生になって、
もう一度一年生をしているような
そんな気持ちです。



| 森脇智美日記 | 22:49 |
学校にて

次男と小学校生活をしていて
昼休みや授業中の読書の時間があるので
私も読んでいる。
「長くつ下のピッピ」を読んで
今は「エーミールと探偵たち」を読んでいる。

面白い本があったよ、と
子ども達が紹介してくれたり
こんな本借りたよ、と
借りた本を見せてくれたりする。
一緒に「ミッケ」の本を見たりする。

私は先生でもないし、支援の先生でもなくて
誰でもなくて
ただの「おかあさん」として学校にいる。
だから子ども達も「○○くんの(次男の名前)のお母さん」と呼ぶ。

それで私も「おかあさん」として
アサガオの成長を楽しんだり、芋の苗植えに一緒に行ったり
授業を受けたりしている。
一緒に掃除をしたり、一緒に手拍子をしたり。
子ども達は素直で、真っすぐで、優しい。

これから先はどうなっていくのかわ分からないけれど
とにかく今、学校へ通えていることを喜び
その時間を大切にしたいです。

勉強が出来なくてもいいんです。生きていれば。
かけっこでびりでもいいんです。生きていれば。
うまく描けないでもいいんです。生きていれば。
とにかく生きていればいいんです。
それ以外の事は、命があるから、できることなんです。


次は何を読もうかなと私は
家の本棚から本を探しています。





| 森脇文庫 | 09:50 |
森脇靖と



森脇靖と
器と
その家族が
過ごしている場所です。

ぜひ遊びにいらしてください。

| 森脇製陶所の様子 | 21:41 |
森脇製陶所にいる森脇靖 

| 森脇靖の様子 | 23:00 |
アレルギー /4.アレルギー症状
4、特にひどかったアレルギーの症状


今まで色々と怖いな、危なかったなと思う症状がありましたが
特にひどかったことも記しておこうと思います。


3歳11か月
長男卒園の時に、園児と保護者で集まり謝恩会を開きました。
もちろん自宅から次男用に弁当を持参しておりました。
その時、公民館内キッチンでピザを焼き、室内にチーズやパンの焼ける
普通であれば香ばしいと感じる香りが漂っていました。
このころ私達は口に入らなければ大丈夫と思っていましたので
次男がせき込み始めた時、朝から式もあり疲れが出てきたのかな、
さっきみんなで畳の部屋を走っていたのでそれで息が乱れたのかなと
思い、喘息の吸入をしました。
しかし息が苦しそうで、飲み薬も飲みました。
少し治まったかなと思っていたら腹痛を訴え始めました。
何も食べていない、まだ他の子も食事が始まっていなかったので
どうしたんだろう、と少し違和感を覚えていたら蕁麻疹が体中に
広がってきました。
これはもう今までにない感じだったので危ないなと思いすぐに帰宅しました。
しばらく蕁麻疹は消えず、顔から腕からふくらはぎまで
全身に蕁麻疹が出ていました。しばらく消えず、怖かったです。
今思えば、アナフィラキシーショックが起きる寸前だったのかもしれません。
状況によっては、命にかかわることだったかもしれません。
推察ですがチーズを焼いたことによる乳製品の揮発物が
呼吸で体内に入り込んだせいではないかと私達は考えました。


6歳の頃
私達も家には乳製品を置かない使わない生活に慣れ
日々の食事や気を付ける部分が何となくわかってきて
ひどい蕁麻疹が出る、ということはほとんど無くなっていました。

6歳の頃、飲食店でフライドポテトを食べたのですが
(このポテトは過去何度も口にしたことがあり、
 大丈夫だという認識でした。
 きっとポテトはポテト用の油で揚げているんだと勝手に思っていました)

しかし食後いきなりせき込み始め、腹痛を訴えました。
まだ蕁麻疹は出ていませんが咳がひどかったので、
すぐに飲み薬と、店内で電源を借り、吸入をしました。
吸入の途中でトイレに行き、下痢をしていました。
蕁麻疹はまだ出ていません。
すぐに飲んだ飲み薬が効いていたのだと思います。
その後は状態が安定してきました。
この時も今思えばアナフィラキシーショック寸前でした。

気付いて、薬を飲む、吸入する、が私達は素早く判断して
数秒で出来るようになっていたので何とか大事にならずに済んだのだと思います。
あくまで推測ですが、
揚げ油が専用ではなく他の揚げ物と共有するようになったのかもしれません。
店内のにおいも以前とは違っていましたし、
そういえば店長さんも変わっていましたし・・・
やはり外食は怖いなと反省しました。


6歳11か月、卒園式の三日前

朝から熱が出ていたので保育園をお休みし、過ごしていました。
昼食後、しんどいーと言ってぐったりしていて、
早くお昼寝しようねと言って私は洗い物をしていました。
次男も本を読んでいました。
そのころ小学校に迎えに行っていた主人と長男が帰宅し
昼食を食べ始めました。
するとすぐにひどい咳をし始めて、
喘息にしたら発作が急だなと思いつつ吸入する?と聞いていたら、
次男が泣き出し、狂ったように「いやだーいやだー」と叫び出しました。
以前は苦しい時は、くるしいーと言葉を発していたのですが、
いやだーと叫んでいます。これはいつもと違うので
急いで吸入をしようとするのですがうまく息が出来ず、
吸入が出来ませんでした。吸入が出来ないとなると
気管が閉じて更に呼吸が出来なくなります。

一気に悪化したということは喘息ではなく
食べ物だと思い、飲み薬を注射器で口の隙間から入れました。
顔は紅潮し目は充血しています。
症状が出始めてからここまでは3分くらいです。
また吸入をしようと思っていたのですが、全く出来る状態ではなく
次男も完全にパニック状態です。
きっと首が締まっていく感じがあり怖さも相当だったと思います。
主人がエピペン打とう、と言い、すぐ私が手渡しました。
次男を抱き、ズボンを下ろし、「00ちゃん、打つよ」と声をかけ
主人が打ちました。

すると15秒位でしょうか次男が「息が出来る・・・」と呟きました。
意識はありましたが、顔色が一気に白いというか、何というか
蝋人形のような生きているのに死んでいるような顔色になりました。
次は救急車だと主人が電話しました。
その間私は入院用にカバンに着替えやタオルを準備していました。
動かなきゃという覚悟もありましたが、興奮状態でもあったと思います。
すぐに救急車が到着しました。次男は意識もあり呼吸もありますが
相変わらず青白い、ペンキで塗ったような白い顔をしています。
救急車には主人が付き添いました。
私は娘を抱きかかえ、動き出す救急車を見ました。
急に心臓がどくどく言いはじめ、怖さが足元から上ってくるようでした。

けれど泣いてなんていられません。娘と長男とともに
病院へ行く準備をしていました。
私が車で向かおうとしたのですがもともと運転が苦手なため、
事故になってもいけないからと主人に止められてしまいました。
病院についたときには徐々に顔色も戻っていたようですが
また症状が出るかもしれないと入院することになりました。
私は近所に住む義母に連絡をして、病院まで連れて行ってもらうことにしました。
私の親は県外にいますので、こうして近くに助けてくれる人が
いることに感謝しました。
病院へ到着し、ベッドの上で小さく丸まる次男を見た時、
本当に本当にほっとしました。
良かった、良かったと思いました。

エピペンを打つのが早かったこと、
飲み薬もすぐ飲んだことが良かったと
病院の先生が話してくださいました。
どうしたんだろう。大丈夫かな。と思う間に体調は急変します。
徐々にというより、一気に、という感じでした。


私達は今まで、喘息でも食物アレルギーでも、何かがあれば
すぐに死んでしまうものなんだという意識をもっていました。
夫婦でいつも話し合い、エピペンの事、薬の事、体調の事を
考え、意見を出し合っていました。だから、二人ですぐに動けたのかも
しれません。もし主人が帰宅していなかったら、もし私一人だったら
処置できなかったかもしれません。
そして今回の事で私達はさらに覚悟をしました。
とにかく治すということではない。今を生きなきゃいけないんだと
今ある命を大切に、次へ繋げていこうと。

小学校入学にあたってエピペンを処方されていましたので、
それが無ければ助からなかったかもしれません。
本当に思い出せば出すほど息が苦しく、怖くて不安です。
しかし学校生活が始まる前に、私達はさらに本気で向き合うしかないと
より強く思いました。


この時は、原因は何だったのか不明でした。
このころ、長男の為に卵を使った料理をすることがあったので
もしかしてその洗い残しだろうか、と思っていました。
しかし後々調べ考えているうちに、きっとカレーに入っていたクミンという
スパイスが原因ではないかと私達は素人ながらですが思っています。
確定はしていません。

色々調べると
花粉飛散時期に特定の食品を口にすることで、
アレルギー反応を示すというPFASという症状があるということです。
牛乳や卵といったような直接的なアレルギー物質が原因というのではなく
次男はブナ目の花粉にもアレルギー反応を持っていますので
ブナ目の花粉飛散がある時に、セリ科の野菜の種子のクミンを
口にする事で症状が現れるという、信じられませんが交差反応というようです。
体調が良くない時に最悪の組み合わせが起きてしまったようです。
確信したのは、後日、同じように手作りしたカレーを口にした後
次男が咳をはじめ、嫌だということを言ったので、
もしかして前回の時もそうだしクミンが原因では?と思い付きました。
主人がいろいろと調べてみると、花粉との組み合わせがあると知り
きっとそうだ、と私達は考えました。

以前もクミンを入れたカレーは何度も食べてはいたのですが、
この時はたまたま花粉と合わさって
また風邪の発熱もあり、ひどい症状がでていました。
花粉の時期と食べ物と咳。
そう考えると納得がいくことが多くあります。


ある時は
リンゴジュースを飲んだ時、直後に咳をし始めました。
これは冷たいものを一気に飲んでしまったせいかなと思っていました。
けれど花粉の時期と果物の表を見ていると、
交差反応というものが起きているんだと、今ではわかります。
花粉の時期、次男は鼻水や目のかゆみはそんなにひどくないのですが
喘息の発作がひどくありました。呼吸器系に反応していたのではないでしょうか。

食物アレルギーも喘息も原因は一つではないように思います。
その時の体調、環境、口にしたもの、
もしくは体質、遺伝的なもの、
様々あると思います。答えはありません。治療法もないように思います。
だからこそ、ゴールは、治すことではない。
今を生きることです。今の命を大切にすることです。
今出来ることを、今食べられるものを大切にしようと
夫婦でそう思っています。
| 森脇智美日記 | 09:58 |
アレルギー /3、向き合うこと

3、次男と病気と家族で向き合うこと

我が家にとってアレルギーや喘息の病気は
悲観する材料にはなりません。
もちろん最初は、看病の連続で引きこもりの毎日、寝不足が続き
気が狂いそうなこともありましたし、今でも不安と心配で包まれています。
次男を見ると、いつかふっと消えてなくなるのではないか
と夜中呼吸を確かめることがあります。
何かをしていて、アッと思う、次の瞬間に、
死ぬかもしれないという恐怖が頭をよぎります。
何かが起こるかもしれないといつでも覚悟をしています。
恐ろしく、苦しく、泣きたいことだらけです。
しかし、私達は、次男は、生きなくてはいけません。
私達は彼が小さなころから、
「いつか食べられるようになるよ」とか
「頑張って治そう」というようなことは言いませんでした。
「かわいそう」とも思いませんでした。
口にできない食べ物を、誤魔化したり秘密にすることもしませんでした。

とにかく自分で食べられないものを覚えて、食べたら死ぬんだと
苦しくなったら死ぬんだということを言い続けました。
小さな子に対して、
「死ぬ」なんていう言葉は言うべきではないのかもしれません。
けれどそれが現実です。本気で向き合うしかない。
親である私達も、次男自身も、また兄弟も。

それは負けたとか、駄目だということでない。
今、食べられるものがあるのなら、それを大切にしよう。
今、息が出来ているのならそれを大切にしよう。
今日ある命に感謝して生きよう、と伝えました。

だから、次男は保育園でもみんなと違うものを食べていても
食べられないものがあっても
「どうせぼくはなんて」なんて言いませんでしたし
すねて「自分だけ違う」なんてこともいいません。
秘密にすれば苦しくなります。
治るから頑張ろうと言うと、こどもは頑張ろうとします、
そして症状が出たら、やっぱり駄目だったと落ち込みます。
頑張る必要はありませんし、悲観することもありません。
アレルギーや喘息の症状が出ること。
それ以外は本を読んだり字を書いたり絵を描いたり話したり
走ったり考えたり様々なことができます。
他の人と違うということは、マイナスになりませんし
それで人生が真っ暗になるなんてこともありえません。
考えようです。

次男にはいつも食品表示を確認しなければ食べられないと伝え
ちくわには卵が入っている物が多いから気を付けて、とか
このお菓子は牛乳入っているから、違うのにしようか、とか
これはアレルギー用のケーキだからいいけれど、
他のは食べられないからね、とはっきり、まっすぐ伝えています。
親がかわいそう、と悲しむと、子どもはもっと悲しみます。

園の給食でも食べられないものがあっても
毎日メニューを確認するようにして、
みんなはシチューだから気を付けようね、などと話し合うようになりました。
人と違う、自分のことだけを気をつけるというよりも
みんなはこうだけど、自分はこう、というように
「みんな」はどうしているか、ということを知ることが
結局のところ、危険の回避や予防に繋がります。

次男は食事に対してはとても前向きで
今日のご飯なんだろうとか園での美味しかったものを教えてくれたり
家でも一緒に料理をしたりしていました。
出掛けても外食はほとんど無理ですので
いつもお弁当を作ってみんなで公園で食べたり、
車内のシートを倒してキャンプ気分で食べたり、
主人の仕事場でバーベキューや鍋をしたりしていました。
工夫すれば楽しいことはたくさん転がっています。
「みんな」ということに合わせると難しい事だらけです。
だから、自分たちで一番安全で安心で
楽しいことを作っていこうという気持ちで今も過ごしています。

振り返ってみても本当につらいこと、怖かったこと心配なことだらけです。
でも私は一人ではありません。
いつも主人が一緒になって考えてくれたり
食事もこうしたらよいかもと作ってくれたり、すぐに行動してくれていました。
相談しながらアレルギーの事、喘息の事と向き合ってきました。
長男は花粉症がありますが食物アレルギーはありません。
しかし長男は普段はアイスもパンも食べません。
食べたいこともあると思います。
娘もアレルギーは一切ありませんが
ヨーグルトやプリンを食べることはなく、
食べたことのない食品も多くあります。
我慢させる、というのではなく、
家族が一人でも悲しい思いをしていたら助け合おうと
それが家族だと、いつも言っています。

次男に対してだけではありません。
長男が体調不良の時は元気な人が力を出し合う。
娘も同様です。体だけでなく気持ちがつらいときも同じです。
家族であるなら、みんなで向き合って
団子状態でがむしゃらに、もみくちゃになって進むしかないのです。
家族みんなでの取り組みだからこそ進めることがあります。

アレルギーについて私が文章に残そうと思ったのも
そのような理由があるのです。
きっとアレルギーの子どもを抱えるご両親、ご家族には
出口のない暗いトンネルを進み、不安と心配と辛さで
苦しまれている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
アレルギーにゴールはありません。また答えもありません。
個人によって大きくなって食べられる子や、軽い症状の子、
我が子のように重い症状の子、色々あると思います。
私はアレルギーは体質として次男はずっともっていて
もしかして一生口にできない食べ物もあるかもしれないと思っています。
しかし大切なのは、十年後よりも、今、命があることです。

次男は呼吸が止まりそうになり病院へ駈け込んだり
食べ物で蕁麻疹が体中に出たり、呼吸が安定しない日がありましたし、
最近では6歳末頃、呼吸困難になり、エピペンを打ち
救急車で運ばれ入院することもありました。
死んでもおかしくない状態でギリギリのところで命を繋ぎました。
今日から明日へ、命を繋ぐ。
その一歩一歩を大切にしたいと思っています。

| アレルギー | 21:18 |
アレルギー /2、保育園へ(4歳ごろ)
2, 次男4歳の頃、保育園に入園

初めての集団生活が始まりました。
保育園の玄関で手を振り後姿を見送ってから
次にまた姿を見るまで、いつもソワソワした時間を過ごしました。
(今もそれは変わりませんが)
園での食事は除去食でしたが、他の子どもさんは牛乳も卵も食べている、
そんな中で次男はうまく生活できるのか、とにかく心配でした。
最初の頃は迎えに行くと蕁麻疹が出ていたり
喘息のような呼吸になっていることもありましたが
命にかかわるようなひどい症状はありませんでした。
それは、保育園の先生方のきめ細かい対応や
食事の先生が除去食でも楽しくなるように工夫してくださったこと等、
関係する皆さんに支えられ、助けられての結果です。
卒園するまでの3年間、本当に感謝しております。

園での生活では、
手洗いするときは他の子どもさんより息子が先に行ったり
食事の際は先生がついて見て下さったり、
咳をしていたら声をかけてくださったりと
流れの中でうまく過ごせるようお気遣いをいただきました。

また体調不良や息が苦しい時はすぐに連絡をいただき
その都度迎えに行くことが多くありました。
園と家が近いということもあり、
少しの症状でも電話してくださいとお願いしていました。
電話があれば必ず迎えに行くということで
次男が保育園にいるときは家の近くで過ごしていました。
喘息は呼吸器に症状が出るのはよく知られていますが
食物アレルギーも、次男の場合は呼吸器に症状が出るため
この咳が、この喘鳴が何なのかを見極めるのは難しく
また息が苦しくても吸入薬だけでおさまる場合もあれば、
飲み薬が必要なことがあったりと色々です。
蕁麻疹が出ている場合もあり
とにかく原因が何なのかが分からないことの方が多くて
色々な判断が難しく、対応をどのようにするのか
園との共有に多くの時間を使ったように思います。

私達は息子の表情や症状を見れば
何となくどうすればよいか、分かるようになりましたが
親でない場合、見極めるのはとても困難です。
そのため薬を預けるということはせず、
たとえ軽い症状でも電話をもらい、迎えに行く
というスタイルを取らせてもらいました。

どのような症状で、どのような対応をしてよいのか、
ということがはっきりわからない状態ですので
園の先生も毎回ご心配だったと思います。
体調が安定しない時はお昼までで帰宅することも多く、
長期のお休みもあり色々とご迷惑をおかけしました。
けれど保育園の先生はいつも笑顔で対応してくださいましたし
また応援もして下さいました。

おやつの時間はほとんどが食べられませんが、おにぎりを
かわいくラッピングして工夫されていたりしていました。
通った3年間、先生のお陰で、また一緒に通うお友達のお陰で
過ごすことが出来たこと、たくさんの経験が出来たこと
本当に感謝以外の言葉が見つかりません。
| アレルギー | 21:10 |
アレルギー /1 幼少期
1、幼少期

次男が0歳8か月頃に判明した喘息と食物アレルギー。
離乳食を始めたころに分かりました。
その前に赤ちゃんの頃もいつも頬が荒れていて赤く痒がっていて
その頃は湿疹かなと思う程度でしたが、後々振り返ってみたら
もう食物アレルギーの症状が出ていたのかなと思います。

赤ちゃんのころは毎食後に蕁麻疹が出ることが多く
牛乳、卵、小麦、大豆が食べられず
何を食事に出せばいいのやら不安と心配だらけでした。
口に入らなければ大丈夫と思っていたところ
父親が食べていたアイスクリームが顔にわずかですが付着し、
火傷の水膨れのように皮膚が腫れたりとか。
クッキーを作っている間に粉が舞い、
それを吸い込み呼吸が苦しくなることもありました。
何も食べていないのに蕁麻疹が出ることもありました。

一年中、ヒーヒーゼーゼーの喘息もあり
夜中何度も起き、吸入をし、抱きかかえ朝まで座ったまま寝ていた
ことも度々あり主人と二人で寝不足でした。
冬の間は息が苦しくなり、数か月間引きこもっていました。
毎年降る大雪の様子を窓の外から眺めているだけの次男は
「雪ってどんなのかな、触ってみたいな」と窓から外ばかりみて
いました。喘息の発作と蕁麻疹と、で体調が年中悪かったのです。
母親として何もしてやれないことで、胸が詰まることもありました。
次男は毎年冬は体調不良のため、
結局雪遊びをしたのは4歳末頃が初めてでした。

その後、少しずつですが、大豆が食べられるようになり
お醤油、味噌、豆腐を毎日食べても大丈夫になってから
ぐんと日々の食事内容が広がってきました。
我が家は以前はホームベーカリーでパンを焼いたり
下手ながらクッキーやケーキを作って食べていたのですが、
次男が安心して食べられるようにと次男だけの別料理は止めて
みんなで食べても触れても大丈夫なように
家族全員が口にできるものを作るようにしました。
卵も牛乳もお菓子も買いません。
家に居る時ぐらいは安心して過ごしてほしかったからです。
特別な食事をしようと張り切ると続きませんから
白米、みそ汁、煮物などの和食が中心にあり、
だしの取り方の工夫や香辛料や香草の使い方で
カレー、スープなど日々のレシピが少しずつ増えてきました。



次男の体と向き合う中で、
いつも排便が不規則で、いい状態の便が出ていないことに気付きました。
主人との話しでも、腸が弱く、消化する力が弱いのではということに至り
アレルギーを治すというより先ず腸を強くしようと考え
腸内環境を整える漢方薬を飲むことにしました。
次男にはそれが合っていたのか、みるみる毎日いい便がでるようになり
徐々にですが食べられるものも増えてきました。
そして元気な時は外で遊び、肺を鍛えることで喘息をうまくコントロールし
出来るだけ発作を起こさせないように、過ごしました。
毎日の吸入も朝晩続けました。
喘息発作になり薬を連続で使用することは大丈夫だろうかと不安になりましたが
その時にきちんと服用し、短期間で治すことで
発作が長引かないようにすることが大切だと知りました。
赤ちゃんの頃に比べて、
今7歳ですが喘息発作の数も減っていますし
私がつけている日記を見ながら体調不良になった時期は気を付けようとか、
疲れている時は無理をしないとか、予防策を立てられるようになりました。
しかしながら喘息はすぐに治るものではありませんから今でも注意が必要です。

| アレルギー | 22:38 |
アレルギー /はじめに
次男は、乳児期に先ず喘息と診断され
離乳食開始後の異変で、食物アレルギーを持つことがわかりました。
特に牛乳は少量でも体内に入れば、命にかかわります。
私は、今春次男が小学校に入学したこともあり
今まで様子や生活を記録として書き記しておきたいと思いました。
アレルギーを持つご家族にアドバイスをする、とか
アレルギーが治る方法を探るとか、そういうことではなく
ただ私達が今までしてきた体験や感想を書き記すことで
何かヒントになったり、数ある意見の内のひとつとして
何かを感じてくださればと思います。
アレルギーという一言であっても
実際その症状には個人差があり一人一人全く異なる対応が必要だと感じています。
全てがお医者様の判断に基づくものではなく、
生活を通して、我が息子にとって良いのではないかと思って
行っていたことや日々の気付き、
成長とともに感じたことを書き記しております。
| アレルギー | 22:35 |
一年生

春が一気に駆け抜けた。
慌ただしくて
私は花粉のくしゃみが止まらないまま
次男が小学生になった。

普通に小学校へ通うということが
どれほど嬉しいことか。
どれほど難しいことか。

この世に同じ人間が居ないのと同様に
同じ生き方をする人も居ない。
他者と違うことは恥ずべき事でも
負けていることでもない。
いま笑っていられること
いま食事ができていること
いまの命を、次の日へつなげること
次の瞬間へつなげていけることを
大切にしよう。


学校の先生、保護者の方々、通う子ども達
保育園時代の先生、皆様のお陰で、
次男は小学生になることができました。

春から私も小学一年生をしています。
一年生の子ども達はみんな優しくて楽しくて明るくて
元気づけられています。








| 森脇智美日記 | 23:06 |
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